エスパーダとは?クラシックカー好きを魅了するランボルギーニの名車

エスパーダとは?クラシックカー好きを魅了するランボルギーニの名車

CAR / MOTORCYCLE 2018.07.01

有名なクラシックカーについて知ることは大人の男性としての魅力を磨くことに繋がります。ランボルギーニ エスパーダもそんな魅力的なクラシックーの1つ。エスパーダは10年に渡って販売され、多くの人々の心を魅了しました。そんな名車の魅力に迫ります。

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車が好きなあなたへ

車好きな人であれば知っておきたいのが、世界的に有名な名車。この記事で紹介していくランボルギーニ エスパーダも、世界的に有名な名車の1つです。世界的に評価されてきた車の世界観を知れば、大人の男性としてのセンスに磨きがかかります。
車が好きでありながら世界の名車について知らない、語れないとなれば、カッコ悪い印象を持たれてしまう可能性もあるでしょう。そこでこの記事では、ランボルギーニ エスパーダについて、歴史や構造、乗り心地などについて紹介していきます。ぜひ参考にし、車好きな自分の魅力アップに繋げていきましょう。

エスパーダ(ランボルギーニ)とは

まずは、エスパーダとはどんな車なのか、その背景から見ていくことにしましょう。エスパーダは、ランボルギーニによって生産された車です。ランボルギーニは自動車メーカーとして有名ですが、どのような歴史があるのか、創業者はどんな人物か知らない人も多いでしょう。まずはそこから見ていきます。

ランボルギーニの歴史

ランボルギーニはイタリアの自動車メーカー。1963年にフェルッチオ・ランボルギーニによって創業されました。もともと創業者の「フェラーリに対抗するスーパーカーを作る」という宣言からスタートしていますが、当時は「無謀だ」「狂っている」という悲観的な見方をされていました。しかし、創業翌年の1964年に生産したデビュー作350GTは傑作と評価され、その後も次々と進化した車が生産されていきます。
ランボルギーニは現在、世界的なスーパースポーツカーの名ブランドとして知られていますが、実は創業から55年ほどしか経っていません。この55年の間に350GTから始まり400GT、ミウラ、エスパーダ、ディアブロ、ヴェネーノなど革新的な車種を多く生み出し、その地位を築いてきたのです。このような歴史を歩んできた背景には、創業者の車に対する凄まじい情熱がうかがえます。

大の車好きのフェルッチオ・ランボルギーニ

ランボルギーニの創業者、フェルッチオ・ランボルギーニは大の車好きでした。彼の夢は「完璧な自動車を作る」だったと言われています。第二次世界大戦後にトラクター製造工場を創業しましたが、彼は有能で情熱的、とても激しい性格で知られていました。しかし、そんな彼であっても、スーパーカーを作ろうと考えた際には、世間から悲観的な目で見られていました。
大の車好きな彼は、自分自身で車をいじることにもとても意欲的でした。倉庫をオフィスのすぐ近くに作り、いつでも現場をのぞくことができるようにし、納得のいかないことがあれば自ら動いたとされます。満足できる車を自分で作ったのが彼でした。
彼は雄牛座生まれでしたが、ランボルギーニのトレードマークも「牛」。ランボルギーニの車種名は、ほとんどが闘牛の名前になっています。この伝統も、創業者からスタートしているのです。

気になるエスパーダについて

ランボルギーニについて知れば、次はいよいよエスパーダについて知っていきましょう。エスパーダがどのように発売されたのかについて、まずは見ていきたいと思います。

いつ発売されたのか

エスパーダが発売されたのは1968年のことでした。生産は1968年から1978年の10年間続きましたが、その中で3回のモデルチェンジを経ています。ボディ自体は基本そのままでしたが、エンジンやインテリア・デザインは何度もリニューアルされました。
エスパーダは生産開始から10年間、ベストセラーの座を守っていました。10年という期間はランボルギーニの全歴史の約1/5に当たる期間です。このような長い期間生産され、売れ続けたということはランボルギーニの歴史の中でもとても重要なこと。
もちろん車名の「エスパーダ」も闘牛と関連があります。エスパーダとはスペイン語で「剣」という意味。剣と言えば、闘牛においては牛にとどめを刺す武器です。このようなアグレッシブな名称を用いていることからも、エスパーダが大きな希望や革新的な野心のもとに世に送り出されてきたことが想像できるでしょう。

グランツーリスモとして発売

グランツーリスモはイタリア語。英語ではグランドーツーリング。元来は快適な居住性を備え、高速での長距離走行に適しした高性能乗用車をいう。実用車の範疇に入るクルマにもグランドツーリングのイニシャルをとってGTと名付けた高性能モデルがある。──weblio「大車林」より

エスパーダは「グランスツーリスモ」として発売されました。グランスツーリスモとは自動車カテゴリーの一種であり、GTと略されることもあります。上記の解説によれば、快適さ・高速・長距離走行可能という3つを兼ね備えた高性能の車。
エスパーダが発売されたのはランボルギーニの歴史の中では初期に当たります。しかし、ランボルギーニは初期からこのような高性能な車作りに果敢に取り組んでいたのです。そしてエスパーダは実際に高いパフォーマンスを持つ車として完成し、歴史に名を残すことになりました。

ランボルギーニ初のモデル

エスパーダが初公開されたのは、1968年のジュネーブ・モーターショーでした。そこに至るまで、ランボルギーニは350GT、400GT、ミウラなど、数々の名車を生産しています。しかし創業者のフェルッチオは、それらを超えるような車を生産し、スポーツカーの可能性をさらに広げていきたいと考えていたのです。
彼は当初からフェラーリに対抗することを目指していましたが、フル4シーター車を完成させることで、フェラーリに先手を打つという野心があったこともうかがえます。当時、フェラーリはまだフル4シーター車を持っていませんでした。
フェルッチオが打ち出したエスパーダのコンセプトは、VIP用にも使うことのできるフル4シーター。VIP用ということもあり、内部はできるだけ広く、革張りのインテリアやエアコンが備え付けられるなど、当時としてはハイレベルな装備が施されました。こうして誕生したのが、VIP用にも使用できるグランツーリスモだったのです。

車体構造について

エスパーダの概要を知ったら、今度は車体構造について見ていくことにしましょう。VIP用にも使用できるフル4シーターのグランツーリスモとして誕生したエスパーダですが、その車体構造にはどのような特徴があったのでしょうか?セミモノコック構造という特殊な構造が採用されていました。

セミモノコック構造が採用

エスパーダには、セミモノコック構造という特殊な構造が採用されました。この構造を踏まえてエスパーダをデザインしたのが、デザイナーであるマルチェロ・ガンディーニです。ガンディーニはエスパーダの近代的なデザインを完成させていきましたが、そのルーツにはジャガーEタイプをベースとしたピラーナや、マルツァルがあるとされています。
エスパーダのデザインは、多くの人の目を惹きつける魅力的なものでした。そのため、エスパーダは計3回のモデルチェンジを経ていますが、エクステリア・デザイン自体は最初からずっと同じままでした。ガンディーニによるラグジュアリーで近代的なデザインは多くの人に受け入れられ、10年間もの間愛され続けたのです。

セミモノコック構造とは

エスパーダの車体に導入されているセミモノコック構造とは、一体どのようなものなのでしょうか?通常の自動車には、「モノコック構造」が導入されています。モノコックはフランス語であり、モノは単一の、コックはボディなどを表す言葉です。単一の車体、つまり、つなぎ目が一切ない形で溶接されたボディを意味します。とても頑丈な構造です。
ところが、飛行機などの場合、このモノコック構造では高い気圧に耐えられないこともあるため、より頑丈な構造が求められました。そこで生まれたのがセミモノコック構造です。セミモノコック構造はフレームと外板で力を分散することで、より大きな圧力に耐えることが可能。エスパーダはこの技術を車体に取り入れたのです。

エスパーダのボディサイズ

エスパーダのボディサイズはどれくらいなのでしょうか?全長は4738mm、全幅が1860mm、全高1185mmというのが、エスパーダのボディサイズです。実はこのボディサイズはランボルギーニで生産されてきた車の中で最大。近代的なデザインだけでなく、実はこの巨大なサイズもエスパーダを大きく特徴付けるものだったのです。

エスパーダの重量

エスパーダはランボルギーニ最大のボディサイズでしたが、重量はどうだったのでしょうか?実はボディサイズだけでなく、重量もランボルギーニ最大だったのがエスパーダです。エスパーダの重量は1480kg。当時は現在のような軽量の素材などもなく、大型化させたたため、どうしてもボディサイズに比例して重量も大きくなってしまっていたのです。

サスペンションとブレーキについて

車体構造の次は、サスペンションとブレーキについて見ていきましょう。エスパーダには、4輪ダブルウィッシュボーン式のサスペンションと、4輪ディスクブレーキが採用されていました。これらについて1つずつ見ていくことにします。

4輪ダブルウィッシュボーン式のサスペンション

サスペンションは、タイヤを吊り下げてボディを支える役割を果たすものです。このサスペンションは、車体の揺れや運転のしやすさ、走行時の音などに大きな影響を与えます。エスパーダに採用されているのは4輪ダブルウィッシュボーン式のサスペンション。サスペンションにはいくつか種類がありますが、これは独立型と呼ばれるサスペンションの1つです。
独立型のサスペンションの場合、左右のタイヤがそれぞれ独立で動くということを大きな特徴としています。メリットは、走行時の安定性。左右の車軸を真っ直ぐに繋ぐ車軸式に比べてコストはかかりますが、車の乗り心地などはこちらの方が優れています。このサスペンションは、エスパーダと同じ1968年に生産された400GTの後継者、イスレロと共通のものでした。

4輪ディスクブレーキが採用

エスパーダには、4輪ディスクブレーキが採用されていました。4輪ディスクブレーキのメリットは、安定した制動力があることと、放熱性が高いこと。ブレーキの強弱がコントロールしやすく、摩擦熱も外に逃げやすい構造になっています。
このようなメリットから、現代でも高性能なスポーツカーに導入されているタイプのブレーキであり、コストはかかるものの、ブレーキにも妥協のない姿勢がうかがえるでしょう。この4輪ディスクブレーキもサスペンションと同様、同年に発表されたイスレロと共通していました。

駆動方式とエンジンについて

ここからは、気になる駆動方式とエンジンについて見ていきます。車を評価するのに、駆動方式とエンジンは欠かせません。それが車としての走行性能を決定づける核となるからです。それでは1つずつ見ていきましょう。

駆動方式はFR

エスパーダの駆動方法はFRです。FRはフロントエンジン・リアドライブの略称であり、車体の前方にあるエンジンで後輪を回す方式です。後輪で駆動し、前輪は操舵の役割を果たします。このためハンドリングがとても軽くなるというメリットが生まれます。
これ以外にも、小回りが利く、スムーズで効率的な加速ができるなどがメリットと言えるでしょう。スポーツカーや大型セダンに好んで導入される駆動方式であり、メルセデス・ベンツのマイバッハなどにも使われています。この駆動方式もまた、イスレロと共通していました。

エンジンは4LV12DOHC搭載

エスパーダは4LV12DOHCのエンジンを搭載していました。このエンジンの最高出力は320hp/6500rpmでした。今でこそ1000psを超えるようなスーパーカーもありますが、当時で320hpは高性能。現代で言えば、BMWの6シリーズやポルシェの987 ボクスター・スパイダー、ケイマンSが320hpのエンジンを搭載しています。
また、最大トルクは40kgm/5500rpmのアウトプット。現代の車で言うと、ポルシェ911 カレラ カブリオレが39.8kgm/5600rpmですので、これに近いと言えるでしょう。4LV12DOHCのエンジンについても、やはりイスレロと共通していました。

トランスミッションもイスレロと共通

エスパーダのトランスミッションも、やはりイスレロと共通のものでした。5速MTであり、ファイナルレシオを下げることでタイヤの回転数が多くなり、最高速度が上がるように設計されていました。創業者フェルッチオがライバルと目していたフェラーリが同時期(1968年~74年)に販売していたクーペであるディーノ・246は最高速度が235km/hでしたが、エスパーダはそれを凌ぐ最高速度245km/hをたたき出しました。

インテリアのデザイン

続いて、エスパーダのインテリア・デザインについても見ていきましょう。エスパーダを特徴付け、魅力を高めているのはもちろんエクステリア・デザインやスペックだけではありませんでした。VIP用にも使うことのできるグランツーリスモとして、ふさわしいインテリア・デザインを持っていたのです。それらについて見ていきましょう。

シリーズごとに違うデザイン

先述の通り、エスパーダはランボルギーニから10年間に渡って販売され、ベストセラーとなった車種ですが、その10年間の中で3回のモデルチェンジを経ています。エクステリア・デザインについてはほとんど初期のままだったのに対し、インテリア・デザインについてはシリーズごとで大きな違いがありました。
1968年に発表されたシリーズ1から1年以内に最初のモデルチェンジがなされ、シリーズ2が誕生しました。さらに1973年にモデルチェンジが行われ、シリーズ3が誕生、最後のモデルチェンジは1975年に行われ、そこからシリーズ4が生まれることになったのです。ここからは、各シリーズごとのインテリア・デザインの特徴を詳しく見ていきましょう。

シリーズ1のデザイン

初期型であるシリーズ1のデザインには、どんな特徴があったのでしょうか?インテリアは革張りであり、メーターナセルは2段重ねとなっていました。ユニークなインパネが導入さており、さらにパワーウインドウやエアコンも装備されているという特徴がありました。
パワーウインドウやエアコンは、現代では当たり前の装備ですが、当時はごくごく限られた車にしか備え付けられていない装備。それらが標準で装備されているということは、当時にしてみるととても贅沢なことだったに違いありません。また、エスパーダは内部が広かったため、希望によってテレビやミニバーなどを設置することさえ可能だったとされています。

シリーズ2のデザイン

エスパーダの最初のマイナーチェンジは1969年になされました。シリーズ1の発売からまだそれほど時間は経っていません。チェンジされたのはエクステリアの1部、インパネ、エンジン性能です。インパネの変更ではメーターナセルの形が一般的な長方形に変更されました。
エンジン性能はシリーズ1から向上し、最高出力が350hp/7500rpmに向上しました。短い期間で飛躍的なパワーアップを遂げたと言えるでしょう。シリーズ2からは北米市場への輸出も進められ、シリーズ1以上に広範囲で支持を集めるようになっていたのです。

シリーズ3のデザイン

2度目のマイナーチェンジは1973年。この時に大きく変更されたのはインパネのデザインです。シリーズ3のインパネは、ドライバーを取り囲むようなデザインに大きく変更されました。インパネのデザイン以外に、パワーステアリングの装備と3足トルコン式ATがオプションとして設定されたことも大きな変更点でしょう。
装備面での充実については、エスパーダを輸出していたアメリカ市場からの要望を取り入れた上での変更だったとされます。短いスパンでマイナーチェンジを行い、新たな要望を取り入れつつ進化していったこともエスパーダの大きな特徴であると言えるでしょう。

シリーズ4のデザイン

最後のマイナーチェンジは1975年に行われました。チェンジされたのは仕様の一部と、5マイルバンパーの装着でした。5マイルバンパーは、5マイル(時速約8km)以下で衝突が起こった際、その衝撃を吸収するために導入されたものです。当時、北米の安全基準によって、この5マイルバンパーが求められていたのです。
このシリーズ4まで含め、エスパーダは10年間に1,227台販売されたとされています。同時期に発売され、多くの共通点を持っていたイスレロが2年間で販売停止となったことと比べると、何度もモデルチェンジを繰り返し、10年間にわたってロングセラーであり続けたエスパーダの凄さがより実感できるでしょう。

発売価格について

多くの魅力を兼ね備え、10年間にもわたってベストセラーであったエスパーダですが、発売価格は一体どれくらいだったのでしょうか?ここからは、エスパーダの気になる発売価格と中古の価格について見ていくことにしましょう。

新車当時の価格

エスパーダは、販売されていた当時、新車で日本円にして約1,290万円ほどだったとされています。もちろん、販売された当時と現代では物価が大きく違っていますので、額面の金額だけではあまりピンとこないでしょう。
物価も商品の種類によってさまざまであり、一概に現代と当時の物価を比べることはできませんが、新卒の初任給が約3万円~5万円であった時代なので、かなりの高額だったことは間違いないでしょう。ちなみに1970年にトヨタから発売されたセリカは、当時57万円でした。

中古の価格

エスパーダを入手しようと思えば中古で手に入れる必要がありますが、中古価格はどのくらいなのでしょうか?エスパーダはそもそも出回っている台数が限定されている希少車種であり、シリーズごとのモデルチェンジもあるため、価格はさまざまです。
1000万円台、2000万円台で販売されているケースが多く、中には元のオーナーによってオーバーホールなどがなされ、そこに費用がかけられていることもあるでしょう。そもそも希少な車のため、中古車市場に出てくること自体が非常にレアなケース。なかなか目にすることのできない車種なのです。

購入できるお店

ランボルギーニ エスパーダを購入することは可能なのでしょうか?可能であるとすればどのようなお店で購入が可能なのか、その点も見ていきましょう。

現在ではほとんど販売していない

残念ながら、エスパーダは現在では生産が終了しており、新車で販売されていることはほぼあり得ません。その上、実際に販売された台数も限定されているため、中古車としてオークションなどでも売りに出されることはほぼほぼないでしょう。
エスパーダが過去に中古で売りに出された際は、大きなニュースになり、注目を集めました。エスパーダが売りに出されるということ自体がとても大きな事件になるのであり、それだけ希少な車種ということなのです。

日本でも発売

エスパーダはイタリアで生産され、海外にも輸出されていましたが、日本に対してはどうだったのでしょうか?当時、日本でもエスパーダは販売され、購入することはできたのでしょうか?ここからは、日本でのエスパーダの販売について見ていくことにしましょう。

東京オートショーにて

実は日本でも、ランボルギーニ エスパーダは発売されていました。1969年の東京オートショーにて青いカラーのエスパーダが発表されたのです。発表されたエスパーダのカラーは青で、赤いミウラとともに出品されていました。東京オートショーにエスパーダとミウラを出品していたのは、当時のインポーターであった三和自動車でした。
東京オートショー後も引き続きエスパーダは日本に輸入されていたとされます。輸入されたのはシリーズ1とシリーズ2が中心であり、どちらかというと初期の頃のモデルです。ただし、日本でどの程度購入されたのかは不明です。

三和自動車とは

三和自動車(現:ミツワ自動車)は、1952年に設立され、外国車の輸入・販売を行っていた企業です。読み方は「みつわじどうしゃ」だったのですが、「さんわじどうしゃ」と間違えられることが多く、当時の三和銀行グループと間違われることもあり、1990年に「ミツワ自動車」に車名変更しました。
ポルシェを日本で初めて輸入した企業であり、エスパーダやミウラを代表とするランボルギーニ、パッカード、サーブなどの輸入販売も行っていました。基本的にはポルシェの輸入代理店としてポルシェを販売していたものの、ドイツのポルシェAGが日本法人であるポルシェ・ジャパンを設立。輸入契約解除が通告され、1997年末にポルシェ販売から一度撤退しています。ただ、販売済みでアフターケア対象のポルシェが15,000台を超えていたこともあり、正規ディーラーとして契約しなおし、ポルシェ事業を復活させました。現在はメンテナンスや中古車販売などを手がけています。

現在のエスパーダ車

それでは現在の日本国内でエスパーダを目にすることは不可能なのでしょうか?全くの不可能ではありませんが、確率としてはとても低いと言えるでしょう。実は2014年の5月30日?6月1日に東京ビッグサイトで「S.I.S スペシャルインポートカーショー プレミアム 2014」というイベントが行われ、なんとそこでミウラと一緒にエスパーダが公開されていました。
展示されていたエスパーダのカラーは、東京モーターショーで日本初公開されたものと同じ青。出品したのは栃木の有名なカーショップであるドリーム・オート。1,620万円という値段がついており、その時点では日本に在庫が存在していたことがわかっています。日本国内で見かける確率はとても低いので、もし目にすることができればとてもラッキーだと言えるでしょう。

最高のクラシックカーを知って魅力的な人になろう

ランボルギーニ エスパーダは、ランボルギーニの創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニの夢と情熱、希望が詰まって生み出された名車です。10年もの間ベストセラーになり、そのラグジュアリーさや当時の技術をふんだんに導入した性能の高さなどで多くの人を魅了しました。
そのような最高のクラシックカーについて知識を持っておくことは、大人の男性としての魅力にさらに磨きをかけることでしょう。この記事ではエスパーダについて紹介しましたが、世界には他にも数々の名車や名ブランドがあり、それぞれにたくさんのストーリーがあります。ランボルギーニの名車についてもっと知りたい、他のカーブランドについても知りたいなど、好奇心が起これば積極的に調べてみてはいかがでしょうか。

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